内容はクリックしてご覧ください。
【書籍】
【冊子】
【リーフレット】
【パンフレット】
【関連資料】
章別にご覧になりたい方は、該当するところをクリックしてください。
章別にご覧になりたい方は、該当するところをクリックしてください。
章別にご覧になりたい方は、該当するところをクリックしてください。
本会は北海道大学に対して、「スパイ冤罪事件」によって弾圧された北大生・宮澤弘幸の遺族(ボルダ―在住の妹・秋間美江子さん)に対する謝罪と責任明確化を要求し、弾圧に屈しなかった宮澤弘幸を顕彰し、再来を許さない決意を表明するため、北大構内に「心の会の碑」(仮称)を建立するための敷地提供を求めてきました。しかし北大は、この要求に対して拒否を続けています。この一連の経過を「北大に求めた処置と責任」と題して発行しました。
2月から準備を進めてきた『引き裂かれた青春―戦争と国家秘密』が、花伝社から刊行されました。
専修大学文学教授・藤森研さんは、序文で次のように書いています。
第一部において、軍機保護法改正案を審議した帝国議会で慎重な運用が軍当局から繰り返し約束され、「軍事上の秘密」を厳しく限定する付帯決議も付けられたこと、それらによって改正法が全会一致、原案通りに可決した経緯を跡付ける。だが、それらの答弁や付帯決議が、警察や司法当局による法適用の段階に至ってどれほど無視されたのかを、第二部で実証的に分析して、明快だ。
統制法規というものは、人権に配慮するかのような美しい装いをまとって成立するが、成立した途端に臆面もなく装いを脱ぎ捨てて独り歩きをし始めることが、この事件で手に取るようにわかる。(中略)
特定秘密保護法案の文言の微調整による成立過程や、集団的自衛権行使容認のため「限定性」が強調されて閣議決定に至った経緯を見れば、まるで同じ筋書きの芝居を見せられているようだ。
今から73年前、真面目で活動的な学生にすぎなかった宮澤さんや、クエーカー教徒で徹底した平和主義者だったレーンさん夫妻の身にふりかかった恐ろしい出来事は、決して昔話とは言えない状況が、いま現出しつつある。この時期に、「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」によって、秘密立法がいかに危険な独り歩きをするものかを、実証的に明らかにした本書が世に出ることには切実な意義がある。
かつて軍機保護法の下、国家は個人に牙を剥き出して襲いかかりました。秘密保護法を強行可決させ、日本を戦争する国にするために集団的自衛権行使を閣議決定した安倍政権は、再びその道に国民を引きずり込もうとしています。かつて軍機保護法の下で何が起こったのかを、一人でも多くのみなさんに知って欲しいと思います。
ご注文は「真相を広める会」事務局まで。ご氏名、ご住所、電話番号・メール、注文部数をご記入の上、FAX:03-3264-2906 またはこちらからメールでお願いします。
代金は、2300円(税・送料込み)。本に同封するゆうちょ銀行払込用紙でお願いします。
花伝社へ直接注文の場合は、FAX:03-3239-8272 まで。代金は2500(税・送料別)です。
「宮澤・レーン事件」ってご存知でしょうか? 実は多くのひとが忘れかけ、多くのひとが知らずにいるのではと恐れます。
1941年(昭和16年)12月8日、日本が太平洋戦争を仕掛けた日に、旧・北海道帝国大学(現・北海道大学=以降、北大)予科の英語教師ハロルド・メシー・レーン、同英語教師ポーリン・ローランド・システア・レーンの夫妻と、その教え子の北大生・宮澤弘幸さんらが軍機保護法違反で逮捕され、有罪とされた冤罪事件です。
冤罪であることは、最高裁に埋もれていた大審院(現・最高裁に相当)の判決等を探しあて、あわせて四十五年の歳月を掘起こして得た事実との突き合せで論証し尽くした弁護士・上田誠吉さんらの働きによって解明されており、レーン夫妻については戦後ほどなく、北大当局が再び英語教師として迎え入れたことで実質的に名誉回復がなされています。
だが、宮澤弘幸さんについては、そのような機運が起こる前に、獄中の想像を絶する衰弱と結核罹患によって、戦後に釈放後、療養かいなく死亡しています。有意の27歳にして、拷問に続く事実上の獄中死といえます。
ひとは辛い記憶や嫌な記憶はひと思いに忘れたくなるものです。実際、本当に記憶から消し去ってしまう症例さえあると臨床医学は明らかにしています。しかし、ひととして絶対に忘れてはいけない記憶も厳としてあります。「宮澤・レーン事件」はその一つです。
それは国家権力が起こし、国家の名で犯した非道な冤罪だからです。有無も言わさず人としての尊厳を奪い、可能性を奪い、遂にかけがえのない命までをも奪っているからです。そのうえスパイ冤罪は本人に止まらず、家族親族を壊し、友人知人を壊し、人間関係を壊し、社会信義を壊し尽くします。
「あいつはスパイだ!」「裏切り者だ! 国賊だ!」「追い出せ!」「スパイの子と遊ぶな!」
一度烙印をおされると、弁明も反論も通りません。それまで和やかだった人間関係に謂れなき侮蔑と猜疑と保身をゆすり起こし、集団いじめの構図を強要するのです。いえスパイ呼ばわりそのものが冤罪をつくるのです。
だから忘れてはいけません。ひとは忘れると同じ事を繰り返します。繰り返してはいけません。決して繰り返しはしないという強い意志と智恵を確実にしなければいけないと切に思います。
過日、いまは宮澤弘幸さんのたった一人の肉親となった、85歳になる妹の秋間江美子さんが宮澤弘幸さんの北大時代の溌剌を写し撮ったアルバム一冊を携えて北大を訪れ、「冤罪の無念を決して忘れないで」との願いを込め、真心を込め、贈りました。
事件当時、北海道帝国大学は教え子のために何の弁明もしてくれないどころか、大学として関わることを拒否し、一片の事情確認さえなく学籍簿の上での退学処置をとりました。その怨念を超えての願いに、現大学当局は「(贈られたアルバムを)閲覧、公開展示等を通じて広く紹介し、本学の歴史の中にしっかりと位置づけていく」と受け止めています。
その先には、必ず冤罪による退学処置を撤回しての名誉回復と顕彰がなされるものと信じています。そのことが国家による過ちを二度と繰り返さない一歩となるからです。
アルバムには七十年余の星霜を超えて何度も何度もめくられ、涙にくれ、怒りに戦いた跡が残されています。わたしたちは、この秋間江美子さんと、その家族が負ってきた積年の思いを同じ思いとしてゆるぎなく記憶し、明日に生かす手立てを考えるために、「北大生?宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」を起こしました。
どうか、この冊子を最初の手がかりとして事件を知り、考え、広げる一歩として頂きたく、舌足らずながらお手元へ届けます。
以下、冊子は上田誠吉弁護士ら先人たちの発掘した成果を基にしています。とりわけ同弁護士の著作『ある北大生の受難』(朝日新聞社)『人間の絆を求めて』(花伝社)は真相発掘の古典であり、個々には断りを入れておりませんが、多くの記述の底本としています。『ある北大生の受難』については復刻版が刊行されておりますので、本冊子に続きぜひお勧めです。(以降、敬称は略します)
また、新聞報道等では「レーン・宮澤事件」と表記しているのもあり、事件の経緯からいえば相応ではあるのですが、本会では宮澤弘幸さんの名誉回復・顕彰を主目的としていますので「宮澤・レーン事件」と表記することにしています。
*目次 「スパイ冤罪事件を知ってほしい」「北大における外国人教師」「秘密保全法への道を許さない」「冤罪家族の71年」「おわりにー問題提起」
*A5判・112ページ 500円、2013.2.22刊
冤罪とは、どんなものか。ひとにはわからない。身に覚えのないことで拷問を受け、恃みの裁判官は能面を通し、牢獄に落し込まれる。
地獄、煉獄の獄だ。網走の獄は冬、零下30度も珍しくない。火力の乏しい粉炭ストーブが一つ。各房に、ではない。房の並んだ通路に一つだ。綿抜き木綿の獄衣で蹲る。
食は、穀つぶしと言われる。戦時、兵は敵地で戦い、銃後は粗食に耐えて戦費を働き出している。塀の内の穀つぶしに食わす物はない。1943年8月施行の「収容者食料給与規程」は「熱量ノ四割ハスベテ代用食ヲ以テ補ヒ」と決めた。
代用食とは大豆のこと、それまでの米六麦四・一日六合が半分近く大豆になった。副食は漬物または塩、具のない汁だけだ。栄養失調に病いが襲いかかる。
政治犯扱いのスパイ罪は懲役も房内で受ける。ひとと話し交わるのを禁じるためだ。二畳半ほどの房で寝、起き、食べ、働き、排泄する。心が壊れ、やがて心身ともにぼろぼろになり、すべてを貶められる。
宮澤・レーン事件は、国家によって仕組まれた冤罪だ。それは宮澤弘幸をはじめ冤罪に貶められた人たちの半生を掘り起こし、その時代を極めることによって全貌発掘に努めた弁護士・上田誠吉らの労作によって解明されている。
しかし本来なら冤罪究明の中軸となるべき再審請求はなされていない。それは捜査記録の一切と、裁判・法務記録の大半が敗戦時、本来保存義務のある国家権力自身の手によって廃棄隠滅されているからだ。
だが手を拱くだけで済むわけはない。乏しいながらせっかく残された資料を手がかりに整理し直し、事件全体の構図を法理の上で可能な限り復元すべきと思う。それは冤罪を仕組んだ側からの見立てに基づく復元になるが、裏返せば、追及すべき冤罪の核心が見えてくる。
実際、絶対最終審とされる大審院判決の判示の中には明らかに法適用の誤りがあることさえ指摘することができる。これら誤判、異議については専門家による更なる検証が求められるが、せっかく残された資料を野積みでやり過ごすことはできないと考える。
裁判官の姿勢が悪い。
虚心に、事実を調べ真実を見抜こうとする姿勢がない。
法を見極め、法理をただし、条理を極める姿勢がない。
何よりも罰せられる者の心と思いを思いやる姿勢がない。
冤罪を仕上げているのは裁判官だ。
感情を表にするのは説得力を失うのかもしれない。だが冤罪を見抜くのを怠った裁判官の判決文を目の当たりにすると、こんな思いが突き上げてくる。戦時下、裁判官も厳しい辛い立場にあったことは承知している。だが、あくまで結果責任は負わねばならない。ひと一人の命と名誉を拘束し、最後の断を下しているのだから重い。
時代のせいにしてはいけない。個別事例のせいにしてはいけない。それで言い訳し、納得していては、時代と共に、個別事例と共に、また同じ過ちを繰り返すことになる。必ず正面から向き合い、正座して突き詰めなければいけないと思う。
ひと一人の命と名誉が拘束されているのだから、と。
*目次「冤罪の構図①」「犯罪事実(冤罪事実)の条条検証=探知の部」「同=漏泄の部」「量刑」 「冤罪の構図②」「戦争の時代―総まとめに代えて」
*B5判・130ページ 500円 2013.10.10刊
安倍政権は、私たち主権者の怒りの声に耳を傾けず、民主主義を根底から破壊する「特定秘密保護法」を強行可決させましたが、その日から同法廃棄の声が強く起こり、日ごと平和を願う国民の中に広がっています。
さらに、安倍首相が、ナチスと共に侵略戦争を引き起こし、アジア諸国人民に筆舌に尽しがたい犠牲と民族的痛苦を強いた「日本の第一級戦争犯罪人」を合祀している靖国神社を参拝したことで、その怒りは、「安倍ファッショ政権を許すな!」の声となって、いまや、全世界に広がっています。
このような闘いに先だって、私たちは「真相を広める会」を結成し、「宮澤・レーン冤罪事件」を再び引き起こす「軍機保護法と瓜二つの特定秘密保護法」の制定に断固反対する姿勢を明確にして、みなさんと共に闘ってきました。
上田誠吉先生は、著書『ある北大生の受難』の中で、1941(昭和16)年、内務省警保局外事課が作った「防諜参考資料 防諜講演資料」の中から「戦争には武力戦と秘密戦の二種があり、秘密戦は、諜報、宣伝、諜略に関する戦争である」、「我が国内において合法的に事業を営んで居る各種外国組織網こそ、恐るべきスパイの正体なのである」、「現在の日本国民は、私共の眼から見れば、防諜を知らざるが故にとは言い乍ら、殆んど大部分外国の手先であると断言して憚らぬ程度なのである」など、権力の本性を露わにする記述を引き出し、続けてもう一つの著書『人間の絆を求めて』の中で、「国家機密法は、情報を掌握した少数者が情報から疎外された圧倒的多数の国民を敵視し、それら相互の間に反目と疑心を植えつけることによって信頼と連帯を破壊し、国民をバラバラにすることで戦争政策を強行しようとする。国民のなかに『敵』と『裏切り者』をつくりだすことによって、憎悪と不信と疑惑をかきたてて国民の戦争への抵抗力を打ち砕こうとする。人を見たら、スパイと思え、という考えがこの法律の中心にある」と指摘しています。
戦後、レーン先生は、再び北大に招かれ英語教師として教壇に立たれました。その前に日本に着いたレーン先生夫妻は、お花を持って宮澤家を訪ねました。だが、官澤弘幸の母親は「あなたが、変なことをしゃべったお陰で、息子は殺されてしまった。こんな花は受けられない」といって、受け取るのを拒みました。レーン先生はその時無言で帰られたのですが、「実はそうじゃなかったんだ」ということが判ったのは、それからずいぶん後になってからのことで、そのことを知った宮澤弘幸の妹・秋間美江子さんは、レーン先生夫妻の墓前に伏して、涙ながらに、その時の母親の非礼を詫びられたのです。
山野井孝有・本会代表が心で書いた「岳人・宮澤弘幸『スバイ冤罪事件』―青春を引き裂いた戦争」を改訂した本パンフは、軍機保護法が、戦争が、当時の大学が、いかに人間性を否定し、圧殺するものであったかを、生き生きと描いています。必読です。
*目次「スパイとされた宮澤弘幸」「スパイの家族―苦悩の日々」「レーン夫妻と一女性の苦難」「フォスコ・マライーニと宮澤弘幸」「宮澤弘幸スパイ断罪は冤罪である」「登山・スポーツを否定する戦争への道を許さない」
*B5判・28ページ 200円 2014.2.22刊
本会(北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会)は、「宮澤・レーン冤罪事件」の真相を広く正確に知ってもらいたく願い、冊子『スパイ冤罪宮澤・レーン事件 真相を知ってほしい』(略称・『真相を知ってほしい』)を編纂・発行し、頒布してまいりました。
おりから戦争への道を開く「秘密保護法」(特定秘密保護法)が浮上、これに反対する運動に連帯する中で、「宮澤・レーン冤罪事件」の真相の果たす意義が広く理解され、所期を超える協賛をいただきました。篤く感謝申し上げます。
この広がりの中で、冤罪の真相に繋がる新たな事実と理解も出てきました。中でも、かたくなに事件とかかわることを避けてきた北大当局が初めて腰を入れての調査に応じ、「退学願」「復学願」をはじめとする原資料が出てきました。
その概略は、既に本会・会報等で明らかにしていますが、これまで多くが不明とされた「北大の処置」にようやく解明の道筋を開くものです。なによりも、窮地の教え子や教師に手をのべるどころか、大学当局の保身に汲々とする姿がよりはっきりと見えたことは忽せにできません。
同時に、公開の場で、真相を究め、広めていく取組みがいよいよ必須と考えます。もとより資料の信憑性を含め、さらに検証すべき課題は少なくありませんが、その課題も含めて、当面、本会発行冊子の当該部分について大幅な書き換えが必要と考え、まとめたのが、この「補訂」です。
必ずや、北大当局に70余年に遡る責任の重さを認識させ、謝罪すべきを謝罪させなければなりません。その先には国家権力に対する再審あるいは再審に替わり得る賠償・謝罪要求も開けてくると思います。活用ください。
*目次「北大のとった処置を責任」「北大当局の本会への回答」等。
*B5判・32ページ 2014.2.22刊
上田誠吉・著、1987年9月28日、朝日新聞社
上田誠吉・著、2013年4月10日、花伝社
上田誠吉・著、1988年7月20日、花伝社
上田誠吉・坂本修共著、1984年1月20日、青木書店
上田誠吉著、1986年3月、イクオリティ
上田誠吉著、1986年1月、大月書店